ボンソワー、ズッカです!
およそ4ヶ月ぶりの更新になります!大変長らくお待たせ?しました!!
学校のテストだったり、引っ越し作業だったり、諸々ひと段落してバカンス真っ只中の落ち着いた今、ブログの更新に取り掛かっています!!
時は経ち、フランスで暮らし始めてから1年の月日が過ぎました。正確には1年4ヶ月!
四季が一回りして月日が流れた今、総集編として、この一年を通じての変化について今日は書き綴っていきます!
渡仏の経緯
思えば、ぼくのこの渡仏生活は色々なことが偶然?重なって今日まで至っています。
渡仏の半年ほど前に当時付き合っていた遠距離のフランス人彼女にフラれ、そのショックからなのか?気胸を発して緊急入院で手術をし、1ヶ月半ほどの療養期間がありました。そこで、ふと今後の自分を考えたときに「独り身の今、失うものは何もねえ。左右の気胸の手術を終えた今、気胸にはもうならないだろうし、フランスに飛び出すしかねえ!」と決心。
本当、衝動的な感じでした。
多分、あそこで彼女と別れて居なかったら、ぼくの渡仏はもっと先になっていましたし、今ぼくを支えてくれている多くの友人たちと出会うこともなかったことでしょう。
結果論になってしまいますが、これで良かったんだと思います。
出逢うべき人に出逢い、なるべくして、こうなったと前を向いて言えます。
しかし問題点をあげるとすれば、相変わらずcélibataireと言ったところでしょうか・・・。まあ、そのうち(笑
ストラスブールでの生活
渡仏先を決めるにあたって、なぜかストラスブールという街がずーっと気になっていました。
当時はドイツ語に興味があったこともあり(今は残念ながら当時ほどの関心はなし。。)、フランスの中でも東部に位置していることから、沢山の国にアクセスしやすくて旅行好きのぼくにはうってつけの場所であることから、ここで暮らすことを決めたのです。
当初、ストラスブール大学のフランス語講座(通称IIEF)に行くことを希望していたのですが、あろうことか、ぼくが申し込むちょっと前に定員に達し、プラン変更を余儀なくされました。しかし、ストラスブールという選択肢は揺るがなく、どうせ住むのなら自分の望む街が良いということで、私立の語学学校に通うことに決めたのです。
おそらく、ぼくのように希望の学校に入れないという方もいるかと思います。学費の面や様々な問題があるかと思いますが、貴重な人生のひとときを外国で暮らすのなら、自分が心から望む街に身を置くことをオススメします。
ぼくはストラスブールという街で、多くの人に支えられたおかげで、この街がより一層大好きになりました。
ストラスブールに住んでたときはとにかくアクティブでした。
頻繁にパーティーに参加し、バーに行ったり、ヒッチハイクしたり、マルシェの手伝いしたり、賭けに負けてナンパしたり、いろいろな国に旅行したりと盛り沢山。
学校選びに関しては紆余曲折がありましたが、結果的に、ストラスブールという街を選んだ判断は正しかったです。
リヨンでの生活
8ヶ月という時間を共にし、慣れ親しんだストラスブールの街並みを離れ、リヨンに引っ越し。
なんで住み慣れた街を離れたのか?
新しい環境に飛び込む勇気や度胸も必要だと思ったからです。それによって感じることや新たな発見もあるだろうと。
それに、リヨンはパリに次ぐ大都市だし、田舎出身のぼくですから「一回ぐらい大きい都市に住んでみよう」と決めたのです。
が、当初はマジでシンドかった・・・。
住む家はないわ、知り合いも全然いないわ、持病の喘息の発作が出るわ、そのせいで話すと咳出るわ、肋骨痛むわ、とにかく体調悪いわで・・・。
学校も私立から大学付属に変わり、それまでのよく言えばユルい、悪く言えば甘い環境に慣れていたので、大学付属に入った途端、カチッとした雰囲気やカリキュラムに戸惑ったのも確かです。
渡仏から半年が過ぎてC1のクラスに所属になり、課題も結構出るし、授業の内容も難しいし。
一番シンドかった宿題は、60分のラジオを聴いてそれを350字に要約しろと言った内容。これは何回も番組を聴きました・・・。
リヨンに着いてからすべてがガラリと変わり、二ヶ月目にシンドさがピークに達しました。
Contrôle continuの結果が奮わず、先生からも「あなた大丈夫?」と釘を刺され、無事に期末のテストに受かるのか?と内心は「オワタ」状態。(最終的になんとかパスしました!)
とにかくストレスが溜まりにたまっていた時期で、「ストラスブールに帰りてえ!」そんなことばかりを考える日々。
ひどい時は「自分は今、何が楽しくてここにいるんだろう?」と考えてしまうことすらありました。自分自身、神経質になり過ぎて空回りしていたのが明らかです。
負の連鎖が続き、何もかもうまくいかねえし、面白くねー!みたいな。
そんな中、選択の授業で「オレはテストなんてどうでもいいわ!ビールでも飲もうぜ」という中国人の猛者に出会いました。彼はとても気さくで、アメリカに住んでいた経験もあり、一般的に描かれる中国人像とは明らかに違いました。顔つきも日本人みたいだし。
そんなあっけらかんとした彼の姿に元気をもらい、「もうなるようにしかならねえから!」と開き直り、泣き言を言うのも自分の未熟さを責めることも止めました。
確かに自分にムチを打って自分を奮い立たせることは大事ですが、このときの自分には限界でした。
だから、自分を許すというか褒めてあげることにしたのです。そしたら、一気に気持ちが軽くなって、毎日が少しずつ楽しくなりました。クラスでは個性あふれる賑やかなメンツに囲まれたおかげで、ストラスブールにいた頃に比べ、クラスメイトと出掛ける機会も増えました。
それと若干の矛盾がありますが、リヨンに来てから何よりも一番ショックだったのは、フランス語を話す機会が以前より減ってしまったということ。
生活環境が変わったことにより、学校の授業以外でフランス語を話す機会が、ネイティブと会話をする機会が激減。
フランスに住んでいるのに、これは致命的でした。
ネットに頼って友達を見つけようと試みるも、頻繁に会える仲間を見つけることの難しさを実感。
途中で返事来なくなるし!まあ、そんなのはもう慣れっこです(笑
フランス語が話したいのに、会話したいのに、話し相手がいない・・・。
正直、着いた当初は上記のような悪循環から、リヨンという街が全く好きになれませんでした。
キレイな街です。しかし、ここに住むのには向いてねえ!
そんなことを思ったりもしました。
それから、リヨンでの生活は以前よりもストイックで、今思えば、ストラスブールにいた時は「もっと出来たな」と。
三ヶ月が過ぎた辺りから変化にも慣れて、徐々に友達が増えました。
頻繁に会うことはできませんでしたが、時折会って会話をするリヨンで出会ったネイティブの友達はぼくにとって、大きな支えであり味方でした。
着いた当初から家なき子だったりと色々大変な思いもしましたが、そのおかげで自分自身を見つめ直したり、人々の温かさ、多くのことに気づくことができました。
精神もフランス語も鍛えられ、以前よりタフになった気がします。
学校は大変でしたが、そのおかげもあってか自分の伸びを以前よりも実感することができたのは確かです。
この地に着いた頃の気持ちがまるでウソのように、今はリヨンにも愛着があります。
いつものことなんですが、去り際になって友達や知り合いが増えて、もうちょっとここにいても良いかなって思う頃には行かなきゃいけないんです!!
そんなこんなでリヨンでの生活は無事に幕を下ろしました。
自分自身の変化
フランス語
かつての自分はものすごい期待と変化を抱いて渡仏しました。
渡仏前の自分はB1+が妥当。B2にあと少しで届きそうといったところ。
フランスに着いてからしばらくは、「上達してる時間が全くない」という状態に陥って、何度も何度も悔しさに打ちひしがれていました。
それもそのはず、中級ぐらいからのレベルになると、初級の頃のような著しい変化は短いスパンでは感じられません。
だから、現実と理想のギャップに苦しんで、フランスに着いてから数ヶ月はその事実を受け入れたくなかったです。割り切れなかった。
一年が過ぎた今感じる率直な感想としては、まだまだこんなものかと。
ペラペラなんて程遠い。
C1を経て、直近まではC1+のクラスに在籍して、一応修了のディプロムをもらいましたが、これが率直な感想。
多分、過度な期待をし過ぎていたのかもしれません。
もちろん、単純にぼくの実力や経験値が不足しているというのもあるでしょう。
今思うと、ストラスブールにいた時は今よりも遊び呆けていたのも確か。
しかし、それが多くの人との関わりをもたらしてくれたし、遊んでた自分が良いとか悪いとかを一概に言うことはできません。
まとめると、この一年のぼくのフランス語力の向上の波はゆるやかです。
その中で特に変化を感じた点があるとすれば、それはリスニング力。
耳がどこでどう変化したかは正直わかりません。
日々の積み重ねの中で徐々にと言った感じでしょうか。
ぼくはリスニングが苦手で、「フランス人、マジ早口で何言ってるか分からねえし、なんなん!」と幾度となくコイツに苦しめられて来ました。
もちろん、今でもこのような場面に遭遇することはあります。しかし、その頻度は前よりは減りました。
かつての自分は「すべてを理解する」必要があると思っていました。
リヨンに来てから、「すべてを理解する必要はない」ということを悟りました。
重要な要所要所、話のキーになる部分を捉えることが大事だということに気付かされたのです。
現在フランスに留学中の方で、中にはぼくみたいに落ち込むことがある人もいると思います。
ネット上のブログとか見ると、猛者が、秀でた人たちが溢れてます。
それに周りのすごい人たちを目の当たりにすると、無意識に比較しちゃったりして焦るじゃないですか。
そんな人のために言わせてくれ!!
そこは時間が解決するから気楽に行こうぜ!と声を大にして言いたい。
極端な話、フランス生活をエンジョイ出来てるなら、住んでる土地を愛せてるなら、毎日が楽しいと思えるならそれでOKなんですよ。
また、異国の離れた土地で暮らすとなると、健康も大事です。普段とは全く持って違う環境で暮らすわけですから、心身ともに健康であればそれに勝るものはないでしょう。
とにかく毎日を健康にエンジョイ、これが上達に結びつく条件のうちの一つです。
会話をできるようになりたいのであれば、とにかく会話の機会を増やすことです。
当然、場数を踏めば踏むだけ経験が蓄積されます。
バットの素振りの練習をいくらしていても、バッターボックスに立たなければ経験は身につきません。
喋れるか喋れないかなんて、極論を言えば大事じゃない!
喋れないから遠慮しよう、という考えが上達の加速を阻めてしまいます。
もちろん、喋れるに越したことはないですし、それは理想的。だけど、仮に未熟な状態だとしても、人の心を掴むことはできます。
要は一番大事なのは、飛び込むこと。度胸と愛嬌です。ユーモアがあればなお良し!
多分、世間はこういうのをコミュ力と言うのでしょうか。
すでにあなたにこれらの天性が備わっているなら、上達スピードに大きく貢献してくれるはずです。
そうでなかったら、「自分は侍や忍者の末裔だ!フランスで忍者の普及活動をしている!」と言って場を和ませることから始めましょう(笑
冗談じゃなく、これ真面目に言ってますから!!
それから、学問となると語学もしかり、評価というものが必ずついて回ります。
自分のフランス語を点数化した時に、それがすごい怖くなることがあります。確かに自分のレベルを知るという点では、一つの目安になるでしょう。
だけど、同時に「自分こんなもんか」と思ったりもします。多分、こういう考えを持つ人は他にもいるはずです。
点数は一つの目安ではありますが、それだけでくくれるほど語学っていうのは容易くありません。
そもそも点数なんてものは評価者によっても変わるし、数学や科学と違って絶対的な正解っていうものはないわけで、そんな表面化されたもので一喜一憂する自分がバカらしくも思えます。
日本語を母語とするぼくたちが「オレ、あいつより日本語優れてるぜ!」なんて思う例は極めて稀でしょう。外国語も同じです。そういうことなんです。
心境
一年が過ぎて感じる変化・・・語学面よりも心境面の方が目に見える変化がありました。
フランスに来てから、再確認した自分の価値観はもちろんのこと、日本の見方だったり、自分の在り方だったり、それまで気付けなかったことに沢山気付くことができました。
世の中には知らないことばかりで、日本にいた時は考えもしなかったことを考えるようになりました。
歴史、宗教、ホメオパシー、日本人としてのアイデンティティなどなど。
結果として、このような想起が自分の知識や好奇心を豊かにして、ひとりの人間として成長させてくれた気がします。
料理の腕
日本にいた際は恥ずかしながら、実家暮らしで料理をする機会がそれほどありませんでした。
しかし、フランスに来てからは毎日自炊をしないと食にありつけません。
そうなると、必然的に料理をすることが求められます。
結果的に、料理の腕が上がりました!!
学生時代は焼肉屋の厨房でバイトしていたこともあり、一応料理のイロハは知っています。
食べるものは基本的にジャガイモ、パスタ、米を使った料理が主です。
ストラスブール時代のルームメイトのうちの一人、ラシッドが料理上手だったので、彼にも教わったおかげで幅が広がりました。
炊飯器がなくても米が炊けますし、お好み焼きの粉がなくてもお好み焼きは作れますし、工夫することの大事さを学びました。
渡仏からしばらくすると、すぐに自分の料理の味に飽きましたが、リヨンに越してからは自分の料理に飽きるということはなくなりました。
ここで、ぼくの料理をご紹介!
バッ!!
これらが独身日本人男子のフランスでの自炊の一部です!
パスタとジャガイモ率高いな・・・笑
指パッチン
フランスに来るまで、ぼくは指パッチンが出来ませんでした。
しかし、フランスに来てから指パッチンが出来るようになりました!!
フランス人含め、ヨーロッパの人は会話の最中に「あれ、なんて言ったっけ?」「ああ、それそれ!」みたいな時とかに用います。
パチンと鳴らせると格好いいんですよ(笑
それで、自分も出来るようになりたい!と密かに練習して出来るようになりました!
取るに足らないことかもしれませんが、これも自分にとっては大事な変化ですね!笑
ミニマリスト
以前も記事にしましたが、フランスに来てからというもの、必要最低限の生活で満足するミニマリストになっていました。
もともと物欲は人並みかそれ以下で、フランスで暮らし始めてから、それがさらに低下しました。
というか、会社員時代に蓄えた資金から生活を切り崩しているので、そうならざるを得ないのですが(笑
以上の背景もあり、物質的な消費は日本にいた時に比べて明らかに減りました。
自分に買い与えたものといったら、食材を除けばフランス語の教材などの書籍ぐらいです。
極力、普段から贅沢はしないようにしていますが、時間があるときは思い切って遠くに旅行するようにしています。
まとまった時間があるときに、普段は中々行けないところへ足を運ばないともったいないですからね!!
東はウクライナ、南はモロッコへと旅行に出かけました。
まとめ
以上、大変長くなりましたが、一年を過ぎての総括としてまとめてみました。
この記事がフランス語学習、フランス留学を嗜むみなさんの参考になれば幸いです。
自分もまだまだこれからです!!
では、みなさんボンソワレー!!