【フランス留学】7ヶ月を共にしたルームメイトとの別れ。
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ボンソワー、ズッカです!

ヨーロッパ周遊を終えてストラスブールに帰って来て以来、ぼくが旅先で浴びた強い日光と暑い気候はまるでウソのように、ここの天候は9月にしては寒すぎるくらいで、陽も隠れてパッとしません。

それはまるで、ちょっとした寂しさを訴えかけているかのよう。

ぼくがストラスブールで暮らして以来、7ヶ月の生活を共にした二人(コラン、ラシッド)のルームメイトが昨日今日と去っていきました。

コランはストラスブールの別アパートに、ラシッドはベルビルというリヨンから40kmほど行った北の地域に旅立ちました。

以前のルームメイトの正式な退去は三月頭でしたので、実に半年ぶり。

 

 

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7ヶ月を共にしたルームメイト

 

このフランス留学記にも何度か登場し、同じ苦楽を分かち合ったシェフことラシッドについてフォーカスします。

彼はベルビルで今後はブドウ栽培に携わります。

早朝、彼が旅立つ前に起こされて、最後の挨拶とハグを交わしました。

それからぼくは二度寝をしようとするんだけど、なぜかあまり寝付けなくて、ウトウトした夢の中で彼の部屋に行ってみるとまだ彼の姿があって、いつもと何ら変わりなく大きな声でぼくの名前を叫ぶ姿がありました。

だけど、目が覚めるとそれは現実ではありませんでした。

「ああ、もう居ないのか」

いつもよりも早く目覚めたぼくは物思いに耽ながら、夏休み明け初日の学校の準備をしました。

7ヶ月を共にした彼の存在は、気付かぬうちにぼくの中で当たり前で大きなものになっていたことに今朝、気付きました。

いつかはこの時が訪れるって分かってはいたけど、また会えることも分かってはいるのだけど、異国の地、大好きな国フランスで、一緒に半年以上も生活を共にした仲間が去っていくというのは、カナリ込み上げて来るものがあります。

こんなに寂しいと思ったのはフランスに来て以来、今日が初めて。

彼の旅立ちを笑顔で送り出すのが一番だってことは分かっているけど、寂しいものは寂しい。

 

やさしさ

 

ラシッド。

ぼくは君に感謝しかない。

ここのアパートには去年の九月から住んでいて、一番歴が長かった彼は、ミシュランのレストランで働いていたけど、住み始めたと同時期にお兄さんを亡くして、仕事を辞めて家で自由気ままな生活を送っていました。

だから、ぼくが学校を終えて帰宅すると大抵彼は家に居ました。

「昼飯は食ったか?まだなら一緒に食おうぜ!」と、幾度となく食事を共にして、家に彼がいない時だって「冷蔵庫の中にあるやつ、温めて食えよ!」とぼくにメッセを残すこともありました。

自分の料理に飽きていたぼくにとって、彼が作ってくれた料理というのはとても新鮮で、多種多様な味に毎回ぼくは魅せられていました。当然、料理好きな彼の作り出す味はどれも美味しく、ぼくの心とお腹を満たしてくれました。

 

 

いつもやたらと多い量をぼくに盛り付け、「ボナペティ!これだけ食べればストラスブールを離れる頃には肉がついているだろ!」なんて言っていたけど、ぼくが太る気配は一向になく「これだけ食べてるのに、なんでお前は太らないんだ!?ありえねー!!」と言われる始末。

同様にして、ぼくも彼に料理を振舞って盛り付けるんですが、いつも「もう、食えない・・・」と、残りの分をぼくの皿に移して来ることも多々ありました(笑

それから、飲みに行こうぜ!とぼくを連れ出しては、出先のバーで見知らぬ人がいる度、「日本から来たオレのルームメイトだ!」とみんなにぼくを紹介してくれて、沢山の人と触れ合う機会を与えてくれました。

ぼくは基本的にお酒が弱いため、一人で飲みに行くことはまずありません。

だから、ぼくがバーに行くときは八、九割は彼と一緒でした。

彼に飲みに行こうと誘われて断った記憶がありません。

とても気配りができる彼の振る舞いはぼくだけでなく、みんなを笑顔にさせていました。

普段の彼からは愛らしさと明るさがにじみ出ていて、コーヒーや紅茶を飲む際は必ず毎回、「誰かいる人?」と聞いたりサービス精神が旺盛でぼく自身何度も感心させられました。

ぼくが旅行の最中は、必ず「元気かー?可愛い娘は街にいるかー?」と様子を伺うメッセージを送ってきたりもしました(笑

 

茶目っ気

 

優しい反面、イタズラ好きなところもあって、ぼくがシャワーを浴びていると点灯をチカチカと点滅させて来たり、昨日なんか最後の夕食を共にしていると、やたらとワサビが盛られてる寿司を食わせて来たり。

ぼくも負けじと、時おり部屋に忍び入っては「ワッ!」と脅かしてみたりしました。

また、彼には女好きな一面もあって、毎回毎回違う女性を家に連れて来ては部屋に消えて行くのを横目に見たりもしていました!幸いにも、部屋から変な音がこぼれてぼくを邪魔することはありませんでした(笑 ぼくへのおこぼれ?そんなのもありません(笑

前に、こんなことも言っていました。

「ストラスブールは危険な街だ!」

「なんで?」と聞くと、「そこら中に美女がいるからだ!」って(笑

 

真面目さ

 

そんなおちゃらけた部分もありつつ、時おり亡くなったお兄さんのことを想ってなのか、悲しそうな瞳をしている時もありました。

2月だったかな、まだぼくがストラスブールに着いたばかりの頃。一緒にビールをリビングで飲んでたときに突然泣き出したときのことが強く印象に残っています。彼の肩を持って、その後ハグをすることしか出来ませんでした。

チュニジアとフランスにルーツを持つ彼の日課は、家族や亡くなったお兄さんを想いながら、ポエムを書くこと。

時には眉間にしわを寄せながら、タバコを片手に原稿用紙とにらめっこをしていることもありました。

推敲中の原稿が彼の部屋の壁一面に貼り付けて合って(本日のサムネ参照)、ぼくの部屋に「理解できるか?」と原稿を持って来たこともありました。

今度ポエジーを出版すると、その表紙を数日前に見せてくれました。

出版された現物を手に取るのを楽しみにしています。

 

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7ヶ月の思い出

 

そんな彼との思い出は様々です。

ある時は、新しいルームメイトにお互いにウンザリしては愚痴りあって励まし合ったり。(結果、元凶の人は出て行くことに。)

 

 

またある時は、「このフランス語の文の意味が分からない」とぼくが言うと、嫌な顔一つせずぼくに説明してくれたりもしました。

ワールドカップ期間中は一緒にテレビの前で熱くなって、日本対ベルギー戦はスポーツバーで一緒に鑑賞して、その後はナンパを強いられて実行してみたりもしました。

 

 

歳は4つ上なんだけど、弟のようでもあり、兄のようでもあり、少年のような無邪気さもあるんだけど、紳士的で頼りがいのある彼。

ぼくと同じでコーラのグミが好きで一昨日も1袋ごとあげたら、とても喜んでいたっけ。

旅立ちの前日である昨夜、前々から「オレが去る前に寿司を作ってくれ」と言っていて、ようやく昨日それが実現しました。(彼の出発前夜を祝そうと、忙しい中時間を割いて駆け付けてくれたNちゃんには心から感謝します。)

ぼくがストラスブールに来てから出会った日本人、誰に彼を紹介しても、評判はバツグンで最高のルームメイトでした。みんなが口を揃えて「楽しそうで良いね!」、「良い人だ!」と言っていました。

フランスに来て以来、ストラスブールに来て以来、今日に至るまで一番の時間を共にしたのは間違い無く彼です。

Avec plaisir !!と気前良くする返事と、わざわざ合掌しながら言う、カタコトの「ありがとう」が鮮明に脳裏に焼き付いています。

 

まとめ

 

寂しさを纏いながら行った1ヶ月ぶりの学校は、クラスの生徒も先生も入れ替わっていて、落ち着かないまま時間が過ぎました。学校からの帰路、普段なら何かしらを聴きながら歩くんだけど、なぜかそういう気分にもならず。。

帰宅すると、やはり、今まであった当たり前の空間はそこにはなくて、ポツンと空になった部屋だけが佇んでいました。気付くとぼくは誰もいない家で、Tu me manques !!と叫んでいました。普段なら居心地の良い自分の部屋ですら、今日は変な感じがします。

次に再会する時も、これまでみたいにふざけ合って、笑いあって、真面目に語り合うんでしょう。

これからもぼくがフランス語を学び続けて人間として成長し、フランス語やフランスの素晴らしさを伝えることが彼への恩返しになることを信じて、ぼくも自分の道を歩まなければなりません。

これからの彼の人生がより一層ステキに有意義になることを心から願っています!!

フランス生活、たくさんのドラマがあります。

では、みなさんボンソワレー!!

 

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