【関西→山陰→四国→北陸】名探偵コナンの故郷?北栄町を訪れる。祖父母と4年ぶりの再会【旅行3日目 鳥取編】
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ボンソワー、ズッカです!

昨日は、記事を作成したのですが、祖父母の家には当然WiFiがないのでメモ帳に記事を作成したものを本日更新といたします。

なので、一応、更新日付は作成した日時のものになります。

尚、更新作業は現在、鳥取県は三朝町のブランナール三朝のロビーのフリーWiFiスポットから(笑

1日目、2日目の記事はこちらから!

 

 

では、三日目行ってみましょー!

 

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いざ、大阪から倉吉へ

 

祖父母が住んでいる場所は鳥取県の倉吉市になります。

JR大阪駅で特急スパーはくとに乗車し、倉吉まで向かいます。

バッチリとスーパーはくとの写真も収めてきました!

この青いような紫のようなやつに乗って向かいました!

大阪から倉吉までの所要時間は約3時間。

電車内は冷房が効きすぎていて寒かった。。

景色を眺めたり、フランス語の単語集を眺めたり、考え事をしたりしているうちに到着しました。

この看板を見ると、到着したのだと実感しますね。

実に四年ぶりの倉吉です。

駅の改札を抜けると、なんか萌え?的なやつが出迎えてくれました。

なんなんだコレは!?

前に来た時はこんなのは確か存在しなかったはず。

倉吉駅から見た街並みはこんな感じ。

閑散としています。

が、どこか懐かしさも感じます。

母親の地元だからでしょうか、余計に。

倉吉駅で母親の妹である叔母と待ち合わせて迎えに来てもらいました。

 

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名探偵コナンに会えるまち 北栄町

 

まず、今年3月に出来たばかりのコナンスポットがあるとのことで、そこに叔母が連れて行ってくれました。

ご存知の方も多いと思いますが、国民的人気マンガ名探偵コナンの作者、青山剛昌は鳥取県北栄町出身です。

そのため、町おこしの一環として、街のいたるところにコナンがいます。

縁石の横にコナン!

マンホールの模様にコナン!

ベンチの横にコナンと小五郎も!

トイレ標識に新一と蘭!

駅名にコナン!

もう、すごいコナンづくしですね。

これだけコナンがいるのだから、ちょっと未来少年コナンが混ざってもバレねえんじゃねーのか!?とも思いますが、まあコナン違いですかね(笑

新一の銅像もありました!

余談ですが、叔母の旦那さんは青山さんと同級生とのこと。

 

コナンの家 米花商店街

 

ここには、喫茶ポアロ、コナンの家パン工房、コナンジェラート(写真撮り忘れた)、コナン百貨店の4つのお店があります。

右の建物がパン屋で、左の建物が喫茶店になります。

せっかくなのでパン屋の中に入って、写真を撮って来ました!

パン屋のパンの名前もコナンにちなんでいるという徹底ぶり!

怪盗キッドのエビカツバーってネーミングセンスがすごい!

どっかから盗んで来たエビカツバーガーなのでしょうか、そんなくだらないツッコミを入れたくなります(笑

こちらがコナン百貨店。

コナン百貨店の入り口の逆側にコナンジェラートがあります。

小耳に挟んだ情報によると、周辺のコナンスポットを巡った際に「軽食を取れる場所や休む場所が欲しい!」という要望があって米花商店街が出来たとのこと。本当かどうかは知りません。

境港を入り口に、中国、韓国からの観光客も非常に多いとのこと。

町おこしの力を感じますし、これはすごいムーブメントです!

北栄町、青山剛昌ファンの方、名探偵コナンファンの方にはたまらない場所であることは間違いないです!

 

祖父母と対面

 

叔母夫婦と夕食を済ませた後、母親の弟(叔父)と合流し、4年ぶりに祖父母と対面。

なんと言っても今回の一番の目的です。

最初、祖父母はぼくの風貌を見るなり、ぼくの妹と間違えていました(笑

多分、髪の毛のせい。

ぼくだということが分かると、祖母は会話を徐々に始めました。

そして、「こうして生きていれば遠くても逢えるけぇ」と涙を浮かべながら、ゆっくりとぼくに語りかけてくれました。

その言葉が強烈にぼくの心を震わせました。

久しぶりに感情を揺さぶられ、思わず目頭が熱くなり、涙が出そうになるのを必死に堪えました。

恥ずかしくて、ぼくはグッと泣くのを我慢したのです。

昔の想い出が蘇ります。

遊びに行った時に祖母におもちゃをせがんだこと。

祖母の運転する自転車にまたがり、スーパーに行って白バラフルーツ(鳥取県大山産乳を使用した飲み物)をねだったこと。

観たいテレビ番組があるのに、祖父は「相撲を観るから」と言って見せてくれなかったこと(笑

祖父と田んぼのヒエ取りをしたこと、一緒に将棋をしたこと。

まだまだ、たくさんあります。

こうして大人になった今、祖父母に出来る最大限の恩返しは直接会いに行って、手土産を持って行くことだけ。

これまでお世話になった分の気持ちを込めて、旅路途中の名古屋、梅田でお土産を選びました。

ぼくがお土産に選んだお菓子を祖父母は「美味しい」と言いながら、ゆっくりと食べてくれました。

畑や田んぼ作業をして日に焼けていた印象しかない祖父母の肌の色はすっかりと真っ白に。

ぼくは二人の地肌がこんなに白いとは知りませんでした。

昔に比べて体力も劣り、今は行動に制限があるということを二人の肌の色が改めて訴えていました。

以前は二人で暮らしていましたが、足腰が悪くなった現在は二人とも日中はデイサービスに通い、夜になると寝に帰って来ます。

週二日は施設に泊まるため、ぼくが会った翌日の朝には家を出て、その日はそこで夜を過ごします。

なので、この時の束の間の時間が祖父母と会話をする貴重なひとときでした。

倉吉に着いてから二人の泊まりのことを知らされたので、タイミングを逃していたら家で会話をすることはできなかったかもしれません。

30分ほどの時間、会話とお茶を楽しんだ後、祖父母二人は叔父の手を借りながらゆっくりと寝室へと向かいました。

ぼくも付き添い、最後までその姿を送り届けたのでした。

 

おわりに

 

本当に当たり前のことなのですが、自分が歳をとったように、祖父母にも同じ時間が経過して、今一度「時の流れ」というものを感じました。

ぼくがよく遊びに行っていた祖父母の家には、もう誰も住んでいません。

今は二人とも夜だけ叔父の家にいます。

祖父母との想い出が詰まったあの家で、昔のように一緒に過ごすことはもうできないのです。

 

 

大抵、長期連休になるとぼくは海外に遊びに行ってしまいます。

すべてが自分の計画や思惑通りに進んでいたら、ぼくはこの夏休みもこれまでと同様に海外に遊びに行っていたでしょう。

しかし、今回こうして鳥取まで来たということは何かのタイミングでありキッカケだったのかなと。

数字のすると遠く離れた距離も、会いたいと思ったらそんなのは関係ないです。

来て心から良かったなと思います。

まだ旅は続きます。

 

では、みなさんボンソワレー!!

 

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