人生とは取捨選択。やりたいことがありすぎる。
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時間の使い方

 

日々、流れてゆく時間。

その時間をどのように過ごすかはぼくら次第。

極端に言ってしまえば、その気になればいくらでもやりたいようにやることができる。

選択の線引きをするのは常に自分です。

というわけで、ここでは「人生の取捨選択」に焦点を当ててみたいと思います。

 

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人生とは取捨選択

 

世の中には、何から何までたくさんのモノゴトが山のように溢れています。

そう、それだけ選択肢が豊富にあるのです。

個人的なところで言えば、行きたいところも数え切れないほどありますし、突き詰めたいこと、挑戦してみたいこともあとを絶ちません。

しかし、一つ問題があります。

それは時間です。

やりたいこと、行きたいところをすべて網羅するには相当な時間(ときにはお金も)が必要になります。

「やりたいけど、時間がない」

このようなセリフを言ったり聞いたりすることは少なくありません。

しかし、ぼくは「やりたいけど、時間がない」という表現があまり好きではありません。

だって、なんか言い訳っぽく聞こえるから!

場合によってはその表現が適さないこともあるでしょう。

「やりたけど、時間がない=忙しい」というのはフィジカル的なものもあれば、メンタル的なものもあります。

行動が活発な状態と思考が活発な状態の2つ。

忙しい=何かに没頭している(または支配されている)状態なんです。(当たり前かもしれませんが)

だから、何かをする上での断り(自分もしくは他人を納得させるための手段)として「やりたいけど、時間がない」という言葉を選んでいるのです。

このような常套句は、多くの場合、ただ単純に「本当はやりたくない」または「今の状態を変えたくない(なるべく維持したい)」と、当てはめることが可能です。

それに、「やりたいけど、時間がない」というのは、言い換えれば「やりたいこと、やらなければならないことが他にあって、何よりもそれに時間を充てる必要がある」ということ。簡単に言えば、そのやりたいことの優先順位は低いだけ。

まとめると、「やりたいけど、時間がない」というのは、「やりたくないという口実」と「やりたいけど優先順位的な難しさ」から成り立っていることがわかります。

そう考えると、「時間がない」もしくは「忙しい」という言葉は、物事を断る上で便利な一面もありますね。

忙しいといえば一蹴できるのですから。

だって、どんなに忙しい状態であったとしても本当に好きなことや、やりたいことには5分でも10分でも時間を割くじゃないですか。スキマ時間とかもありますし。

だから、大抵の場合は、「本当はやりたいことの優先順位」を上げることなく、願望で終わってしまうのです。その規模が大きくなればなるほど。

それはなぜかと言うと、人生とは取捨選択で成り立っているから。

繰り返しになりますが、やりたいことには優先順位があって、すべてをそれ相応にこなすには無限の時間が必要になります。

しかし、時間は有限ですからそれを有効に使い、自分のしたいことに専念することが自ずと求められて来ます。

人生とは取捨選択。

こう表現すると、なんかネガティブな感じに聞こえますが、これって当たり前のことなんですよね。

取捨選択ということは、悩めるほど選択肢が豊富にあるということ。

改めて考えるとこれってすごい贅沢。

例えば、今日の夕飯をどうするか?デートの時の服装をどうするか?っていうことも一つの取捨選択なわけです。

これを悩むのがまた楽しかったりもします。

何をどうしようか思考しながら悩む時間も時には大切。

歳をとればとるほど、選択肢の幅は狭められる傾向にあります。

なぜ狭められるかは、変に小利口になってプライドや世間体が横入りしてくるから。

新しいことを始める時、最初のハードルは少し高いかもしれません。

でも、やってみなきゃ始まらない。

0と1の差はあまりにも大きいです。

取捨選択。

星の数ほどあるサイトの中から、偶然この記事を見つけてここまで読んだのも取捨選択のうちの一つなのです。

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