ボンソワー、ズッカです!
マンチェスターに続き、ロンドンでのテロ。イギリスの方々は気が気じゃないかと思います。
被害に見舞われた方々の身心の傷が一刻でも癒えるように・・・。
極東で暮らす我々日本人にとっては、遠い国の出来事かもしれません。
でも、同じ世界にあるんですよね。
また日本のどこかで大地震が起きたときに、震源から遠い地方だからと言って受け流すことはないと思います。
それと同じです。
ここ最近は世界中でのテロやデモのニュースを耳にします。
以前から各地で起こってはいたけど、もしかしたら自分が疎かっただけかもしれません。
フランス語を勉強するようになってから、世界の情勢をより一層詳しく知る、知りたいと思うようになりました。
さて、本日は「満たされる」について想ったことを綴ります。
ぼくたちは満たされない
世の中にはたくさんのモノで埋め尽くされています。
その中からどれを選びどれを手に取って実際に使うかはぼくら次第。
電化製品をはじめとし、車、パソコン、スマートフォン、インターネットなんかは常に日進月歩をたどっています。
きっと10年前のぼくが今の世の中を見たとしても、驚くことと思います。
それだけ世界の発展は目まぐるしいのです。
どんどんどんどん新しい製品が世の中にははびこって、たとえ新しいものに興味がなくても時間が経つと必然的にぼくらには「置き換え(消費)」が求められます。
家電しかり、車しかり、パソコンしかり、スマホしかり。
これが現代の「流れ」です。
ぼくらは日々、消費をします。
時間とお金を引き換えに食べ物、住居、洋服、情報、などなど。
ぼくらは消費をすることで一時的な満足感を得るのも事実です。
例えば、お腹が空いて、ラーメン屋さんで美味しいラーメンを食べた直後はとても満たされます。
でも、数時間もすると空腹が襲ってくるので、満足感は一時的なものに過ぎません。
これを埋めるためにまた消費をします。
他の例を挙げてみます。
新しい外車を買ったとします。
はじめは真新しさに歓喜し、そのフォルムや外車を手に入れた優越感に満足するでしょう。
でも時間が経つにつれてその感覚は段々と薄れていきます。
仮にお金があろうものなら、「もっともっと」と新しい外車に手を出すでしょう。
いずれにしろ一時的な満足にしか過ぎません。
慣れること(時間が経つこと、使用頻度が増えること)が一時的な満足の価値を下げてしまうのです。
そうとはどことなくわかっていても、ぼくらは一時的な満足を求めていつも消費を繰り返してしまいます。
世の中は便利になりました。
これからもっともっと便利になっていくでしょう。
それでもぼくらは満たされることはないと断言できます。
そう、今と同じように。
皮肉なことに世の中が便利になればなるほど、ぼくらには高度な技術や知識が求められますし、同時にロボットの開発などが進めば、それはぼくらの居場所(働き口)を狭めてるとも捉えられます。
文明の進化は個々の幸福には比例しないのです。
世の中が発達し過ぎて、ぼくらはいつからか消費という物質的概念でしか幸せをはかれなくなってしまったのかもしれない。
人目だとか見栄だとか流行だとかに踊らされて。
人間である以上、ぼくらはこれからも消費を繰り返します。
その消費を熟考し、より長い時間の満足度を維持できればそれは一つの正解なのかもしれません。
そして、ここをご覧になってくださる方々にぼくは問いたいです。
今、一番欲しいものはなんですか?と。
え、ぼくですか?
以前の記事の繰り返しになってしまいますが、経験です。
ちょっとやそっとじゃ味わえることのできない経験が欲しいです。
答えのない答え、瞑想は続きます。
それでは、みなさんボンソワレー!