自己紹介!ズッカってどんな人?

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ボンジュー!

2回目の投稿になる今日は、FREEBRLEの中の人である私、ズッカに焦点を当ててみたいと思います。

 

ズッカってどんな人?

 

フランス語をこよなく愛し、なんなら毎日フランス語で会話をしたい!というぐらいのフランスびいきのアラサー男とはわたしのこと!

えっ!?そこまで言うなら流暢に話せるのかお前!と思ったそこのアナタ!!

残念ながら、全然そんなことはございません。。

わからない、知らない単語・表現は無数にあり、上手く聞き取れないことも、伝えられないこともザラです。

日々、勉強中でございます!

そんな今日までの簡単な経歴をご紹介します。

興味ないとか言わないで、まあ見てってくださいよ!

 

幼少時代

 

帝王切開にて母方の地元の病院で生まれました。

ミニカーと戦隊モノが好きな元気で明るい子どもでした。

一人称が昔からオレで、それを保育園の先生に注意された際に、すかさず「オレーオレオレオレ♪(サッカーの歌)」をうたってゴマかすなど、昔からちょっとチャラけた一面がありましたね(笑

 

 

小学校時代

 

親が転勤族だったために、小学校は2回変わっています。

転校した当初は毎度なじめず、喧嘩をして徐々にうち解けて仲良くなっていくといった感じでした。

小学校5年生の時の2度目の転校が、自分にとってはちょっとした転機だったかなと。

3年半通った学校を離れて新しい学校へ移ることは、当時の自分にとって辛いことでしかありませんでした。

転校した経験がある方はわかると思うのですが、年を重ねれば重ねるほど転校っていうのは負担になってきます。

この頃から、少しずつ周りとの違和感温度差を感じるようになりました。

そんな小学校時代はポケモン、デジモン、遊戯王にハマりました。

ちなみに初めて買ったCDはデジモン02の挿入歌「Break up!」です。

 

 

クラス内での立ち位置は割と人気者だったように思います。

その反面、学校のガラスを故意に割ってしまったり、遊戯王カードを校内のトイレで売買したことが問題になるなど、親泣かせの小学校高学年時代。

 

中学時代

 

中学1年生の春に何を思ったのか塾に入る決断をしました。

たまたま塾内で行われた数学のテストで一番の成績を取り、「オレ、やればできるんじゃね?」と思いはじめ、勉強に力を注ぎました。

部活はサッカー部に所属していましたが、やる気がなかったので、常にベンチにいるベンチくんでした。

テストが近づくと、ヤバイ勉強しなきゃ!と学校をずる休みしてまでテスト勉をするセコいガリ勉くんでもありました(笑

学年トップの成績を取ることもありました。今思えば、人生で一番勉強してた時期だったかもしれません。

中学生ぐらいから、周囲の影響もあり音楽に目覚めていきます。

はじめの方は、浜崎あゆみ、B’z、GLAY、Mr.childrenとか普通の邦楽を聞いていたのですが、だんだんとDIR EN GREYやPIERROTといったディープな世界に心を奪われていきます。

気づけばオレもこうなりたい!と思うようになりました。

エレキギターを親にねだって買ってもらい、それ以来、勉強がそっちのけになっていきました。。

みるみるうちに落ちていく成績、それでも周りの期待に応えなきゃという葛藤やジレンマが当時の自分にとって、とてもストレスでした。

なんだかとても窮屈で縛られた日々だなとこの頃から思うようになります。

そんな自分にとってのバイブルはFOOL’S MATEでした。

文化祭で目立とうと、中3のときにバンドを結成しオーディションを受けるも見事に落選。

ちなみにオーディションで演奏した曲はDIR EN GREYの「アクロの丘」

 

 

 

スタジオ練習回数なんとゼロ。オーディション当日はCDを流し、それに合わせながら演奏するという無謀さ。。

もちろん、演奏なんかできっこありません!

「本番までにはなんとかします!」と先生を説得しましたが、結果は上述の通り。

本当は「残-ZAN-」をやりたかったのですが、それではオーディションに落ちてしまう恐れがあったので、オーディションで「アクロの丘」を演奏し、本番では「残-ZAN-」をやろうという計画でした。

うーん、発想がとても中二的で笑ってしまいますね。。

偶然?にもDIR EN GREYのシングル「THE FINAL」の発売日と同じ日に中学校生活の締めくくりである卒業式を迎えました。

卒業式後の謝恩会をすっぽかし、新星堂まで急ぎ足で行き、帰宅して「THE FINAL」のCDを聴き終えた瞬間、「あー自分の中学校生活も終わったんだな。これが本当のTHE FINALだぜ!」と自分に言い聞かせ、三年間の中学校生活は終わりました!

今考えると、ただの痛いやつですね(笑

 

 

高校・専門時代

 

高校は専門学校と一貫した学校でした。

20歳までここで過ごすことになります。

毎日、毎日音楽にどっぷりと浸かり、ギターを弾くかバイトするか音楽を聴くかといった生活が始まります。

邦楽洋楽問わず、とにかく色々なジャンルの音楽を聴くようになったのもこの頃からです。

中学生時代は勉強のできる人で通っていましたが、高校以降は成績も下から数えた方が早かったので、勉強のできない人になってしまいました(笑

テスト前日は徹夜で、毎回毎回、追試や再試の常連でした。。

留年せずに卒業できたのが、今思えば奇跡ですね。

勉強を全くしなかった代わりにバンド活動に没頭しました。

高1のときに軽音部に所属し、初めてバンドらしいバンドを組んだのですが、よくある音楽的な違いというやつで、一年足らずで自分はそのバンドから去ることになりました。

それから少し月日が流れ、高3の春にまた新しくバンドを始めます。

とにかくライブをしました。曲作りもレコーディングもこのとき初めて経験しました。

ときには学校を途中で抜け出し、レコーディングやライブのリハーサルに行くということもありました。

バンドに関わることすべてが楽しくて、ずっとこんな日々が続けば良いのにな、と思う日々でした。

周りの友達は就職活動や進学活動に励む傍ら、自分は相変わらずバンドに明け暮れていました。

 

 

20歳から今日に至るまで

 

専門卒業後、知り合いの会社に入社します。

親の意向もあり、フリーターではなく、正社員で働きながらの生活。

会社側は、「バンド活動を優先させて働きたい」という自分の意向を了承してくれていたこともあり、融通を利かせてくれました。

平日ライブのときは有給をうまく使いながら、多いときは月8本というライブをこなし、色々な地へ出向いてライブを行なっていました。

そんな中、バンドを解散へと向かわせる出来事が起こります。

首都高での交通事故。これ以来、首都高がトラウマになっています。

幸い単独事故で済みましたが、自分はこの時に後部座席に乗車していて、シートベルトを着用していなかったために、前方座席のシートに顔をぶつけ、鼻の骨を折るという事態に陥りました。(今はもう元に戻っています。)

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つぶれた車を目の前にし、顔面血だらけになりながら、首都高のど真ん中で119番をし、病院に搬送されました。

この事件から半年後、運転手兼、車の所有者でもあったメンバーに「もう活動はできない」と言われ、バンドは実質解散しました。

これをきっかけにバンドのことを冷静に考えるようになります。

プロを目指していましたが、ハッキリ言って、人気は全然ありませんでした。

初めて行く土地では全然お客さんがいない上に、遠征代や交通費等を含めたらマイナス。

完全に金のかかる趣味という状態でした。

また新たにバンド活動をしようと試みましたが、なかなか互いにいいと思えるメンバーに巡り逢えず、宙ぶらりんな状態が続きました。

今まで熱中していたものが突然なくなってしまい、とてつもない虚無感が支配していくのでした。

なんともパッとしない日々。

そんな中、自分ひとりでも何かできないかな〜と思い、始めたのがDTMでした。

PCのスペック向上やネットの発達等により、ちょうど自分が始めたあたりからDTMの敷居がグッと下がったような気がします。

MacBook Proを手に入れ、最初はGarageBandでギターを録音して楽しむことがその当時の日課でした。

また、20歳前後から音楽の趣味がバンド系の音楽から電子音楽に傾倒していきました。

特にGOATBEDが好きで、自分もこういう音楽を作りたい!という思いが自分を支配し、インターネットで調べては情報をかき集めるといった日々が続きました。

そして、ableton liveを導入し、ハード機材と組み合わせながら打ち込みに没頭し始めます。

そうこうしているうちに、すっかりとバンド活動とは疎遠になり、新しい生活をしよう!と、4年間勤めた知り合いの会社を辞めることにしたのです。

2013年の春でした。

会社を辞めて何がしたかったのか?

なんとなく不自由を感じていたそれまでの生活から脱して、とにかく新しい世界に飛び込みたいだけでした。

会社を辞めて自由になった当初は、感覚が鈍らないうちに早く次の就職先を見つけようと意気込んでいました。

しかし、とある出来事が自分の人生を大きく変えることになったのです。

忘れもしません、あれは母と妹と三人でイタリアンレストランに行ったときのこと。

母が唐突に「仕事もしてないし、時間もあるんだから海外旅行にでも行ったらいいのに」と声を掛けたのでした。

それまで、海外をしっかりと意識したことは一度もありません。

妹が海外旅行に行ったときも、「へえ〜そうなんだ〜」と他人行儀。

「あー、ロンドンってロックの聖地だから一回ぐらい行ってみたいな〜」

ほんと、それぐらいにしか考えたことがありませんでした。

それから自分はどこへ旅行しようかと、本格的に考えるようになりました。

当初の候補はイギリス、スペイン、イタリア、フランスの四択でした。

妹がフランスに行ったことがあったので、なんとなくフランスへ行くことを決めました。

スーツケースがなかったので、丸の内のリモワで、当時一番いいスーツケースを買うという本気っぷり。

初めての海外旅行は不安もあったので、HISのツアーにおひとり様での申し込みでした(笑

最初で最後のツアー旅行。

そこで見たものは、それまでの自分の人生を大きく覆す景色や感動が広がっていました。

 

 

フランス語を勉強して、必ずまたこの地に戻ってこようと強く胸に誓いました。

ちなみにこのときの自分の語学スキルは中学生レベルの英語力と、ことりっぷで覚えた簡単な挨拶程度のフランス語のみ。

この旅行を通して、それまで自由に生きてきたつもりでしたが、もっと自由に生きていいんだと思うようになりました。

就職するのを見送り、フランス語と戯れながらのニート生活が一年ほど続きました。

この一年間の間に4回(うち3回は短期の旅行、うち1回は2ヶ月の留学)フランスへ行きました。

留学を終え、帰国した自分は貯金も尽きたので、また働き出したのでした。

現在は、次のアクションに向けて、貯蓄をしながら毎日フランス語に慣れ親しむ生活を送っています!

ウィー!ウィー!

いやー、簡単に書いたつもりがだいぶ長くなりました。。

ざっくりとですが、こんな感じです!

どうぞこんな私、ズッカをよろしくお願いします!

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